作品紹介→*新作レビュー*ねむようこ「ペンとチョコレート」
作者関連作品紹介→ねむようこ「午前3時の無法地帯」/「午前3時の危険地帯」/「東京無印女子物語」
ねむようこ「ペンとチョコレート」(2)
私 漫画が描きたい
私の名前はフタバトワコです
■2巻発売、完結しました。
新担当・秋元のもと、打ち切りにもめげず、増刊雑誌のシリーズ連載枠を獲得した漫画家・フタバ。秋元のミスから、ギクシャクした関係になったのものの、無礼な編集者に絡まれたフタバを助け出し、「担当は僕しかいない」との宣言により、フタバはついに自分の想いに気づく。会えば会うほどに、その想いはしっかりとした輪郭を持って、自分の心の中に浮かんでくる。けれども秋元には、彼女の存在が…。さらに、漫画界のシビアな現実が、二人を襲う!仕事とプライベートの狭間で揺れる、トワコの明日は…!?
~完結してしまいました~
完結しました。どうやら2巻で完結というのは、比較的早い段階で決めていたみたいですね(あとがきより)。久々の続刊だったので、改めてじっくり1巻から通して読み返したのですが、「ああ、なんて面白いのだろう…」と。2巻という短さで終わったのは少し寂しかったものの、想像以上の濃密さで、最後まで楽しませてくれました。
~トワコの感情の揺れ動きが、本当に心に響いた~
1巻も良かったのですが、2巻ではひと際トワコが素敵に映りました。素敵というか、彼女の心の揺れが、ダイレクトにこちらに伝わってくるというか。そういったシーンが、2巻では多く描かれていたように思います。中でもこのシーン、紙袋を秋元さんと一緒に持つというくだりが、本当に破壊力抜群でした
“カノジョ”だったら
こんな紙袋越しじゃなくて…
もっと近づいてもよくって
会うのもファミレスじゃなくって
呼び止めて…
追っかけて…
もっかいバイバイとかして…
次の約束とかもして…
もしカノジョだったら…。考えないようにしようとしても、どうしても考えてしまい、そして現状を痛感し落ち込む。叶わぬ想いを抱える人ならば、誰しもが経験するであろう、苦い行動。そしてその後に…
と、逆に自分の立ち位置をポジティブに捉え直し、納得させるという。あるある(私だけ?)。近づかず、離れず、ただ自分の中で、考えがぐるぐる…。進展が望めない以上、自分の気持ちを保たせるには、何かしらのプラス面を挙げ、それをよりどころにしていないと、やっていられない。このアンバランスな状態が、とってもリアルな感じがして、なんとも…。
~ラスト2話は、次巻が一気に飛ぶ~
ラスト2話、20話目と最終回は、19話目からかなり時間が飛び飛びになります。その間にあったであろう、様々な過程を丸々抜き去り、一部分しか提示しません。一気に飛ぶ時系列に、なんだか不思議な感覚を覚えます。2巻完結にするための帳尻合わせだったのか、はたまたはじめから狙っていたのか。その真意はわかりませんが、ラスト2話…特に最終話では、ちょっとした仕掛けがなされていて、個人的にかなりお気に入りでした。
まず最終話は、トワコの感情が一切描かれません。というか、トワコの登場シーンも少なかったりします。視点は、トワコのファンであるとある女の子のもの。視点を外部に置くことは比較的よく使われる手法ですが、今回のこの視点は、一人の読者・ファンのもの。それまで物語では、アンケートや人気投票などを通して読者の存在が示されることはありましたが、具体的なファンの姿というのは一切提示されずに進んできました。ひと際ストイックに、ファンレターの一つも描かれることなく。それがラストになって登場。しかも視点を保持しています。そしてその視点はいってみれば漫画家とは真逆の方向を向いているものです。視点の逆転によって、幸せを客観化しており、また最後では、二人の関係の真相を完全には明かさずに終えるという、なんとも粋な終わり方。ええ、こういうの大好きです、はい。
~ペンとチョコレート~
最後にちょっと、タイトルについて。チョコレートは言うまでもなく、トワコの大好物です。じゃあペンは?となるのですが、こちらもまた、トワコの好きなもの。この「ペン」は、「漫画を描くこと」に置き換えが可能です。そしてトワコにとって漫画を描くこととは、「自分の描きたい物語を描くこと」でした。原作つきの漫画を描いて、一定の成功を収めたものの、彼女はその状況を踏まえ「漫画を描きたい」との発言をしています。自分の描きたいものでなければ、それは漫画を描いていることにはならないのです。そもそもこの作品では一貫して、楽しく描く=面白い作品を生み出すという考えが示され続けていました。

鳶谷コゴロー先生は、楽しく描く=面白いものを描くというメッセージの象徴であった。
チョコレートもペンも好き、しかもそれが、大好きな人からもらえれば、もっと美味しい・楽しい。物語中、もっともチョコレートが美味しく描かれたのは、チョコパフェでもチョココルネでもなく、秋元さんから差し入れられた板チョコでした。そしてまた、ペン=「描きたい物語を描く」という状況も、秋元さんによって与えられたものでした。ああなんだよ、このタイトル、めちゃくちゃ甘いじゃないですか。読み終わり本を閉じたとき、改めて表紙のこのタイトルを読んで、にんまり。なんともいい気分になったのでした。
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作者関連作品紹介→ねむようこ「午前3時の無法地帯」/「午前3時の危険地帯」/「東京無印女子物語」

私 漫画が描きたい
私の名前はフタバトワコです
■2巻発売、完結しました。
新担当・秋元のもと、打ち切りにもめげず、増刊雑誌のシリーズ連載枠を獲得した漫画家・フタバ。秋元のミスから、ギクシャクした関係になったのものの、無礼な編集者に絡まれたフタバを助け出し、「担当は僕しかいない」との宣言により、フタバはついに自分の想いに気づく。会えば会うほどに、その想いはしっかりとした輪郭を持って、自分の心の中に浮かんでくる。けれども秋元には、彼女の存在が…。さらに、漫画界のシビアな現実が、二人を襲う!仕事とプライベートの狭間で揺れる、トワコの明日は…!?
~完結してしまいました~
完結しました。どうやら2巻で完結というのは、比較的早い段階で決めていたみたいですね(あとがきより)。久々の続刊だったので、改めてじっくり1巻から通して読み返したのですが、「ああ、なんて面白いのだろう…」と。2巻という短さで終わったのは少し寂しかったものの、想像以上の濃密さで、最後まで楽しませてくれました。
~トワコの感情の揺れ動きが、本当に心に響いた~
1巻も良かったのですが、2巻ではひと際トワコが素敵に映りました。素敵というか、彼女の心の揺れが、ダイレクトにこちらに伝わってくるというか。そういったシーンが、2巻では多く描かれていたように思います。中でもこのシーン、紙袋を秋元さんと一緒に持つというくだりが、本当に破壊力抜群でした

“カノジョ”だったら
こんな紙袋越しじゃなくて…
もっと近づいてもよくって
会うのもファミレスじゃなくって
呼び止めて…
追っかけて…
もっかいバイバイとかして…
次の約束とかもして…
もしカノジョだったら…。考えないようにしようとしても、どうしても考えてしまい、そして現状を痛感し落ち込む。叶わぬ想いを抱える人ならば、誰しもが経験するであろう、苦い行動。そしてその後に…
ああでも もしかしたら
秋元さんの担当作家であることは
カノジョになることなんかより
ずっとずっと特別なことなのかもしれない…
秋元さんの担当作家であることは
カノジョになることなんかより
ずっとずっと特別なことなのかもしれない…
と、逆に自分の立ち位置をポジティブに捉え直し、納得させるという。あるある(私だけ?)。近づかず、離れず、ただ自分の中で、考えがぐるぐる…。進展が望めない以上、自分の気持ちを保たせるには、何かしらのプラス面を挙げ、それをよりどころにしていないと、やっていられない。このアンバランスな状態が、とってもリアルな感じがして、なんとも…。
~ラスト2話は、次巻が一気に飛ぶ~
ラスト2話、20話目と最終回は、19話目からかなり時間が飛び飛びになります。その間にあったであろう、様々な過程を丸々抜き去り、一部分しか提示しません。一気に飛ぶ時系列に、なんだか不思議な感覚を覚えます。2巻完結にするための帳尻合わせだったのか、はたまたはじめから狙っていたのか。その真意はわかりませんが、ラスト2話…特に最終話では、ちょっとした仕掛けがなされていて、個人的にかなりお気に入りでした。
まず最終話は、トワコの感情が一切描かれません。というか、トワコの登場シーンも少なかったりします。視点は、トワコのファンであるとある女の子のもの。視点を外部に置くことは比較的よく使われる手法ですが、今回のこの視点は、一人の読者・ファンのもの。それまで物語では、アンケートや人気投票などを通して読者の存在が示されることはありましたが、具体的なファンの姿というのは一切提示されずに進んできました。ひと際ストイックに、ファンレターの一つも描かれることなく。それがラストになって登場。しかも視点を保持しています。そしてその視点はいってみれば漫画家とは真逆の方向を向いているものです。視点の逆転によって、幸せを客観化しており、また最後では、二人の関係の真相を完全には明かさずに終えるという、なんとも粋な終わり方。ええ、こういうの大好きです、はい。
~ペンとチョコレート~
最後にちょっと、タイトルについて。チョコレートは言うまでもなく、トワコの大好物です。じゃあペンは?となるのですが、こちらもまた、トワコの好きなもの。この「ペン」は、「漫画を描くこと」に置き換えが可能です。そしてトワコにとって漫画を描くこととは、「自分の描きたい物語を描くこと」でした。原作つきの漫画を描いて、一定の成功を収めたものの、彼女はその状況を踏まえ「漫画を描きたい」との発言をしています。自分の描きたいものでなければ、それは漫画を描いていることにはならないのです。そもそもこの作品では一貫して、楽しく描く=面白い作品を生み出すという考えが示され続けていました。

鳶谷コゴロー先生は、楽しく描く=面白いものを描くというメッセージの象徴であった。
チョコレートもペンも好き、しかもそれが、大好きな人からもらえれば、もっと美味しい・楽しい。物語中、もっともチョコレートが美味しく描かれたのは、チョコパフェでもチョココルネでもなく、秋元さんから差し入れられた板チョコでした。そしてまた、ペン=「描きたい物語を描く」という状況も、秋元さんによって与えられたものでした。ああなんだよ、このタイトル、めちゃくちゃ甘いじゃないですか。読み終わり本を閉じたとき、改めて表紙のこのタイトルを読んで、にんまり。なんともいい気分になったのでした。
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