作品紹介⇒いくえみ綾「潔く柔く」
11巻レビュー⇒心の中のしこりの正体…《続刊レビュー》「潔く柔く」11巻
12巻レビュー→罪悪感と向き合うこと、その答えは一つではない:いくえみ綾「潔く柔く」12巻
関連作品紹介⇒いくえみ綾「いとしのニーナ」/「そろえてちょうだい?」
いくえみ綾「潔く柔く」(13)
見つめることが
愛なのか
■13巻発売、完結しました。
禄のもとへ走り出したカンナ。長い時間をかけて、ようやく過去と向き合うことができたカンナの辿り着く未来は…?魂の再生の物語、堂々完結。
~もはや何も言うまい~
個人的には12巻の時点で出しきった感ががあったので、13巻のレビューはどうしようか悩んでいたのですが、なんてことはない、素晴らしい終わりであった、とその一言で十分でした。もう読む前から、表紙を見るだけで泣けてくるわけですよ。読まずとも、2人には平穏で幸せな時間が訪れたのだ、と。物語の殆どは、12巻の時点で消化。13巻は、たった一話だけ残して、最後のまとめに入りました。それは、過去からの完全なる解放と、未来への一歩。
~忘れることと覚えていること~
「魂の再生」が一つのテーマであった本作で、最後に魂についてのカンナの考えが、モノローグで描かれることになります。
そしてその結論へと結びつく前に、二つほど「忘れない」の反対である「覚えていない」シーンが描かれています。まずはカンナ。夢の中で受け取った、「大切なもの」がいつどこで何を誰から受け取ったのかということを、思い出せずにいます。またその後に、自分の誕生日も忘れていたという。そしてもう一つが、睦美。「最初に喋ったことも忘れている」との母親の言葉から、そのことが窺えます。どちらも、とてもとても重要なことなのに、覚えていない。けれども、それで良いとしている。それはきっと、魂がそれをちゃんと覚えているから。「魂が覚えていてくれる」という言葉を強調したいからこそ、その前に畳み掛けるように、忘却のくだりをはめ込んだのかな、という気がします。そして、嬉しい事も、悲しいことも、確かにそこにあったこととして、覚えていてくれるけれど、決してそれに縛られることはありません。カンナが、「動けなくしてしまっていたのは私だ」と言っているのも、魂が縛りつけるということへの否定です。止まるも進むも、自分次第。ただそこにあったことを、覚えているというだけなのです。

覚えていないけれど、大切なものはそこに。
また対比という意味では、夢の中でハルタと思しき手を握ったとき、カンナは右手を差し出しているのですが、現実で禄と手を握っているときは、逆の左手で握っていました。狙ってか狙わずか、過去を見るときと、未来へ歩みだすときの握り手が異なるというのは、なかなか興味深い描写だな、と個人的に感心したのでありました。右手には、ハルタからもらった希望を、そして左手では、禄という希望を。実に素敵ではないですか。
~梶間は出てこず、やっぱり~
第一話で登場していた梶間は、やはり最後まで登場せず。ずっと主張し続けて来たことなのですが、やっぱりこの作品は、決して全て計算された上で描かれていた作品ではないのだな、ということを、改めて再確認しました。「カンナ篇」としていますが、ハルタの死を軸に広がりを見せたこの物語は、広く考えれば全編が「カンナ篇」だったとも言えるわけで。そうなった時に浮かび上がってくる、物語のメインの二人は、近しい人の「死」と「罪悪感」を抱えながら生きる、カンナと禄の二人だということになります。えーと、だいぶ話が逸れてしまったのですが、要するに何が言いたいのかというと、それでもここまで素晴らしい物語を築き上げるいくえみ先生は最高だということです!感動の連続で、最後まで本当に夢中で読むことができました!ありがとうございました!
■購入する→Amazon
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12巻レビュー→罪悪感と向き合うこと、その答えは一つではない:いくえみ綾「潔く柔く」12巻
関連作品紹介⇒いくえみ綾「いとしのニーナ」/「そろえてちょうだい?」

見つめることが
愛なのか
■13巻発売、完結しました。
禄のもとへ走り出したカンナ。長い時間をかけて、ようやく過去と向き合うことができたカンナの辿り着く未来は…?魂の再生の物語、堂々完結。
~もはや何も言うまい~
個人的には12巻の時点で出しきった感ががあったので、13巻のレビューはどうしようか悩んでいたのですが、なんてことはない、素晴らしい終わりであった、とその一言で十分でした。もう読む前から、表紙を見るだけで泣けてくるわけですよ。読まずとも、2人には平穏で幸せな時間が訪れたのだ、と。物語の殆どは、12巻の時点で消化。13巻は、たった一話だけ残して、最後のまとめに入りました。それは、過去からの完全なる解放と、未来への一歩。
~忘れることと覚えていること~
「魂の再生」が一つのテーマであった本作で、最後に魂についてのカンナの考えが、モノローグで描かれることになります。
魂は
きっと いろんなことを
忘れないでいてくれるんだと思います
きっと いろんなことを
忘れないでいてくれるんだと思います
そしてその結論へと結びつく前に、二つほど「忘れない」の反対である「覚えていない」シーンが描かれています。まずはカンナ。夢の中で受け取った、「大切なもの」がいつどこで何を誰から受け取ったのかということを、思い出せずにいます。またその後に、自分の誕生日も忘れていたという。そしてもう一つが、睦美。「最初に喋ったことも忘れている」との母親の言葉から、そのことが窺えます。どちらも、とてもとても重要なことなのに、覚えていない。けれども、それで良いとしている。それはきっと、魂がそれをちゃんと覚えているから。「魂が覚えていてくれる」という言葉を強調したいからこそ、その前に畳み掛けるように、忘却のくだりをはめ込んだのかな、という気がします。そして、嬉しい事も、悲しいことも、確かにそこにあったこととして、覚えていてくれるけれど、決してそれに縛られることはありません。カンナが、「動けなくしてしまっていたのは私だ」と言っているのも、魂が縛りつけるということへの否定です。止まるも進むも、自分次第。ただそこにあったことを、覚えているというだけなのです。

覚えていないけれど、大切なものはそこに。
また対比という意味では、夢の中でハルタと思しき手を握ったとき、カンナは右手を差し出しているのですが、現実で禄と手を握っているときは、逆の左手で握っていました。狙ってか狙わずか、過去を見るときと、未来へ歩みだすときの握り手が異なるというのは、なかなか興味深い描写だな、と個人的に感心したのでありました。右手には、ハルタからもらった希望を、そして左手では、禄という希望を。実に素敵ではないですか。
~梶間は出てこず、やっぱり~
第一話で登場していた梶間は、やはり最後まで登場せず。ずっと主張し続けて来たことなのですが、やっぱりこの作品は、決して全て計算された上で描かれていた作品ではないのだな、ということを、改めて再確認しました。「カンナ篇」としていますが、ハルタの死を軸に広がりを見せたこの物語は、広く考えれば全編が「カンナ篇」だったとも言えるわけで。そうなった時に浮かび上がってくる、物語のメインの二人は、近しい人の「死」と「罪悪感」を抱えながら生きる、カンナと禄の二人だということになります。えーと、だいぶ話が逸れてしまったのですが、要するに何が言いたいのかというと、それでもここまで素晴らしい物語を築き上げるいくえみ先生は最高だということです!感動の連続で、最後まで本当に夢中で読むことができました!ありがとうございました!
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