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鈴木ジュリエッタ「神様はじめました」(10)
巴衛の背中が温かくて気持ちよくて
なんだか幸せな気分になった■10巻発売しました。
天狗の里で跡目争いに巻き込まれた奈々生たち。鞍馬の父・僧正坊に霊薬である桃丹を渡すため、協力な結界に包まれた本家道場内へ潜入を試みる!その作戦前夜、巴衛と奈々生が相部屋でお泊まりすることになり、まさかのドキドキ急接近!?
~一つの視点からしか見れない巴衛~ 10巻の大台に乗りました。ここまで続くなんて…というくだりは毎回書いている気がするので今回はさすがに割愛ですよ。でもやっぱりここまで続くなんて、嬉しい限りです。というわけで前巻から続く、天狗のお山編(勝手に名付けた)が一件落着しました。
さてさて、今回はなぜだかモテモテであった奈々生。一方通行の巴衛への愛情ばかりが描かれていた彼女ですが、今回独り相撲感が強まったのは、奈々生ではなくむしろ巴衛の方でした。もうしっかりと、自分の中に芽生えた想いを自覚しているというのに、素直になれないあまのじゃく。奈々生と対峙すると、どうしても意地悪で興味無さげなことを言ってしまうのです。ここで不思議なのが、なんでここまで巴衛が奈々生に好きだと言えないのか。別に相手の気持ちが分かっていないわけではありません。今までも、そして今回も、イヤと言うほどに奈々生の好きだという気持ちはは巴衛に伝わっています。意地悪なことを言われれば…

こんなにだってしょげるし、ハプニングから酔っぱらっていつも以上に素直になれば、

好きだってちゃんと伝える。
この素直さ、巴衛とは正反対です。もう何度となく同じことばっかり書いているのですが、これだけ自分の「好き」という気持ちに素直になって、そのまま言葉に出せるヒロインの素敵なこと素敵なこと。白泉社花とゆめには、やっぱりあんまりいないタイプのヒロインさんなんですよ。良い意味で恋愛体質というか、恋愛に置くウェイトが大きくて、かつ明るく積極的。思考はちょっとネガティブだけど…あ、多少の諦めがこれほどまでに積極的にさせているってのもちょっとはあるのかもしれませんね。振られた前提で「好きだ」と言うのは、すごく楽ですから。これがこれから、不意に巴衛がまんざらでもない態度見せたら、逆にすごくどぎまぎしそう。でも根がポジティブでちょっと考えない子ってイメージなので、すぐに好かれてる前提にシフトして、暴走→うざがられる→ショボン…ってパターンを辿りそうです。
そんなわけで、立場的には非常に優位にいるはずの巴衛、もう巴衛が言っちゃえば全部終われるのに、そうしないのは編集部的な事情…ではなく、巴衛自身にあります、多分。今回彼の、奈々生にとっての自分、奈々生に対する自分についての認識が明らかになるのですがそれが意外で。
黙って俺に守られていればいいのに…
俺がしてやれることは
それしかないのだから 「自分にしてやれることは、守ることしかない」…神遣である以上、神様のためになること=守ることという発想に辿りつくのは当然のことなのですが、これが結果的に彼の首を絞めているのでした。奈々生は守って欲しいなんてことは言っておらず、どちらかというと欲求は「触れて欲しい」とか「好きになって欲しい」とか。でも巴衛は、未だそこへ行けずに「守る」という所にこだわったまま。だからこそ、他の神遣が現れれば全力で不機嫌になりますし、守れなかったらとことん落ち込む。今回の天狗のお山では、巴衛自身が奈々生を「守る」ことは殆どできず、天狗の二郎の前に力の差を見せつけられることに。奈々生の思うようにして欲しいと思っているにも関わらず、彼女自身が最も望む巴衛との幸せな結末へと一歩踏み出すことができないのは、全て「守る」という価値観で物事を捉えているからかもしれません。変わるべきは、巴衛。11巻以降、意識の変化が現れることを期待したいと思います。
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