
彼女はなにも望まない
■その美少女は、幼く美しいまま死を選んだ。
奇跡のような美少女、鳥子が自ら死を選んでから3年。その瞬間に居合わせ、やがて高校生になった5人の少女達。敵視した少女、憧れていた少女、比べた少女、真似をした少女、崇拝した少女…。それぞれがそれぞれに巡りあう、自分の中の“鳥子”。多感な心が揺れ動き、少女の美は何度でも甦る。
タカハシマコ先生のITANでの連載作になります。なかよしで連載している「荒野の恋」(→レビュー)の2巻と同時発売ということで、書店でも結構目立ったところに置かれていました。タカハシマコ先生と言えば少女という印象が強いですが、本作はその部分を前面に押し出したような作品。
物語の契機となるのは、芸能界で活躍する絶世の美少女・鳥子の死。嘱望された将来、向けられる憧れの眼差し、その奥にくすぶる嫉妬や崇拝の心。中身はどうであれ、普通の人としては見られなかった彼女は、遺書も何も残さず、クラスメイトの前で電車に轢かれてこの世を去ります。小学校を卒業し中学を経て、高校で再び集った目撃者のクラスメイト達。あの日の出来事は遠い昔のこと…になるはずが、彼女達の元には鳥子がまるで未だに生きているかのように更新された、鳥子のブログのアドレスが送られてきます。再び彼女達に降りかかる鳥子の影と、目覚める自分の中の“鳥子”。一人一人にスポットを当てて、特別な存在との対比である自分への想いを、ダークに、やや演劇的(芝居がかったと言うべきか)台詞回しと演出で描き出して行きます。

死んでもなお残る鳥子の影。各々が持つ鳥子へのイメージと、それに対峙する自分のスタイル。その中で見えてくる歪みがひとつの見所。
物語のモチーフとなっているのは、マザーグースの「誰がこまどり殺したの?(Who killed Cock Robin?)」。聞いたことある方もいらっしゃるかと思いますが、こまどりの死をすずめが殺したと告白したことから始まり、14種類の鳥や虫や魚がどのようにこまどりの死に関わった(関わる)かを歌った不思議な曲です。殺されたこまどりが本作でいう鳥子でならば、脇役達は歌詞に登場するすずめであり、さかなであり、ヒバリであり…。乱暴な言葉で片付けてしまうと“小難しい雰囲気系”に分類されるであろう本作も、元ネタとなるこの歌と照らし合わせてみると少しは易しく飲み込めるお話になるかもしれません。
いきなり「だれがこまどりころしたの?」から始まる強烈さがあり、さらに後続の生き物たちはごくごく自然にその死を受け入れ淡々と物事を進める様子が、殊更違和感を誘うんですよね、この歌。これらを本作では、「全員が彼女の死を願っていた」という解釈に落としこみ物語を展開するのですが、もうね、ほんとブラックです。「完璧に美しいものに触れた時、完璧でない物はどうするのか」。その時に噴出する様々な醜い感情を、“少女”という器に閉じこめることによって美しく見せるという。こういう描き語ったとっても女性的で、かつ悪趣味な印象なんですけれども、この描き方はやっぱりすごいなぁと思いますし、そんでもってタカハシマコ先生の絵柄にすんごいマッチするんですよね。ずるいずるい。

登場人物の誰もが病的で、咲菜ちゃんとかもう引くレベルだったりするんですが、そんな中ちょっと人間臭かった(というかパンチが弱かった)、鳩村さんが個人的にはお気に入りでございます。やっぱり少女には恋ですよ(←少女マンガ脳)。どうせなら脇役14人とかのフルコンプバーションも見て見たかった気がしますが、多分そんなにやったら重苦しさに耐えられなくなりそう。キャラの描き分けもできるし、このぐらいの分量がちょうど良いのか。
ちなみにマザーグースは様々な人の手によって訳されているようですが、「だれがこまどりころしたの?」というフレーズとなるのは、谷川俊太郎先生が訳したものみたいですね。少女漫画家で有名なのは、萩尾望都先生(らしい)。萩尾先生の作品は恥ずかしながら知らないのですが、もし機会があったらそちらも手に取ってみたいものです。
【男性へのガイド】
→タカハシマコ先生ですから。ですから。
【感想まとめ】
→なんだか振り返ると、余りにも取り留めのない感想になってしまいましたね。すごいんだけど薦め辛い感じがなんとも(笑)たぶん薦めなくとも書店に置いてあったら手が伸びちゃうと思いますし、ハマる人はどハマりするはず、でもアカン人も少なからず居るかな、と。
作品DATA
■著者:タカハシマコ
■出版社:講談社
■レーベル:KC ITAN
■掲載誌:ITAN
■全1巻
■価格:562円+税
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