
今日も
歌を
まとって帰る
■3巻発売、完結しました。
逃げるようにして苑のそばを離れた迪。
新居には迪以外、もう「誰も」いない。
峻や歌う子供と過ごしたあの日々には、いったいどんな意味があったのか…?
〜完結しました〜
3巻発売、完結しました。短くまとめて来ましたね。単行本を手にしてまず思ったのは、「おお、なかなかのボリューム」ということでした。パッと見でわかる厚さなのですが、中身を見てされに驚かされます。なんと、表紙をめくるといきなり物語がスタートしているという。紙の方じゃないですよ?見開きの右ページに物語があって、表紙を取ることでやっと読めるというデザイン。こういう作りはこれまで全く見たことがなかったので、ビックリしました。こういう試みをしてくると、なんだか嬉しく楽しい気持ちになります。
〜順調すぎる中での不安〜
3巻は、順調に俳優として人気を獲得していく迪の日々の様子が描かれます。あの場所から逃げ出し、以降自分でも怖くなるくらいに順調な毎日。悩みもなく、充実しすぎの日々を送っていきます。しかしそんな順調さの中で感じるのは、いい知れぬ不安感と、現実感の無さ。「順調すぎて怖い」という言葉はしばしば聞かれますが、そんな様子がありありと見てとれる様子です。そしてその度に想いを馳せるのは、あのアパートでの日々であり、学生時代であり…。峻とも、あの少女とも、きちんと気持ちの整理をつけることができないままに離れてしまい、それが今も残り続ける。不安の源泉は、未練なのかと思われます。
〜成仏の鍵は〜
さて、このお話は少女をはじめ、3人の死者が登場するわけですが、まぁまず幽霊と見て間違いなさそうです。今回のお話では、それぞれの3人が「自分の行きたい場所」へと、それぞれのきっかけを経て行くわけですが、峻と女の子、それぞれの消えて行くアプローチが似たものだったのが印象的でした。

まずは峻。彼は霊感のあるかなえに向かい、自分の想いというものを吐露します。その中で彼は、自分は「後悔だらけで死んでいった」と話すわけですが、やっぱり後悔があったんですね。そして、それをやり直せたと話し、光へと向かって行きます。
また女の子は、日下さんが歌の道を本当に歩み出したこと、また愛する人に巡り会えたことをきっかけに消えていきます。これは女の子自身の想いというよりは、日下さんの中に燻っていたものとでも言うべきでしょうか。
そして消えて行く前の二人に共通しているのは、誰かの中に自身の欠片を残しているということ。

峻はかなえに、そして女の子は赤い靴という形で、日下さんの中に。
想いを遂げるだけでなく、誰かの中に自身の欠片を残すことが大事なのかもしれません。逆に言えば、残された人は、心のどこかに死した人の欠片を大切に抱えながら生きていくことの大切さ、素晴らしさみたいなものを感じたような気がしました。死んだ者、残された者、双方それぞれが問題を抱えており、それぞれに答えを見出し進む。それが3巻の中でそこここに現れるので、カタルシスが凄かった。
〜輪廻転生…かな?〜
彼は事故を通して峻と邂逅し、その後非常に前向きに生きていくわけですが、ラストはそう来ましたか。「真実の口」というモチーフも、子供が放ったあの台詞も、1巻のラスト近くで峻とのやりとりで描かれた内容を模倣していましたね。また、女の子の方についても、恐らく迪の後悔に加え、日下さん達が最終話でした事で本当に報われていたような。
どちらも子供を介しているのですが、そこから窺えるのは輪廻転生的な考え方なのかなぁ、と。この過程を経て、ようやく本当に彼らの物語は一回りするのでしょう。この瞬間に、ようやっと峻の言っていた「やりなおしの光」の意味がわかった気がしました。やりなおしとは、まさにやりなおしだったんですね。や、素晴らしい。良かった。うん、良いお話でした。
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