作品紹介→宇仁田ゆみ「うさぎドロップ」
6巻レビュー→恋愛のスタンスに見る、ダイキチとコウキの強い繋がり的なもの 《続刊レビュー》宇仁田ゆみ「うさぎドロップ」6巻
宇仁田ゆみ「うさぎドロップ」(7)
「わたしはお母さんと会っても
ダイキチんちの子でいい?」
「あったり前だ
いつまでもうちの子だよ」
■ダイキチのぎっくり腰をきっかけに、今後のことや、自分の生い立ちが気になりだしたりん。このままずっと、この生活が続くのか…。もしダイキチが結婚したとしても、私はこの家に居ていいのか…。みんな“かわいい子”だけど、私のお母さんから見た私は…?なんだか急に、自分の母親のことが気になりだしたりんは、ダイキチに秘密で戸籍を取り寄せようとしたけれど…!?
~今回のメインは母親との再会~
あっという間に7巻です。7巻では、久々にりんの母親である正子さんが登場。りんがその生い立ちと、ダイキチとのこれからについて深く考えるようになる巻という感じでしょうか。こういったことは中学のころにすでに消化していて、過去を振り返る形で展開されるのかと思っていたのですが、高校生になってからですか。ちょいと遅いような気もしますが、全てのことを自分で受けとめて考えられる歳になってから、という考えもあったのかもしれません。しっかり者のりんですから、苦悩しつつも一つ一つしっかり消化していこうとするあたり、本当に大人ですよねー。けど7巻のりんはちょっと読めない感じが強く、今までになく距離を感じてしまったというか、親しみにくかったり。難しいお年頃ってことなのでしょうか。
~りんのとる、ダイキチの両親に対する距離に感じる違和感~
引き取られて以来、ダイキチと共にりんの面倒を見てきたダイキチの両親。始めは怖がっていたもののすぐに打ち解け、描かれていなかった小学校から高校生になる間も、きっとより親交を深め、家族のようになっていったと思っていたのですが…ここでりんの発言が気になったり。

ダイキチのお父さんとお母さん
ここ、コウキだったら普通に「おじいちゃんとおばあちゃん」で通じるんじゃないのかな、と。いや、説明的に言ってるのかもしれないですけれど、ダイキチの実家に対する妙な距離を感じるというか。そりゃ血縁的には兄妹ではありますが、なんとなく不思議に感じたのでした。また他では、

ダイキチの実家
これも別に「おじいちゃんち」とか「おばあちゃんち」って言えば通じるように思うんですよね。しかもぎっくり腰になったばっかりで、結構余裕のないとき。咄嗟…ではないかもしれませんが、なぜこんなにも遠回りな言い方をしたのか。このとき感じたのが、ダイキチやその両親との関係性が、完全に固まることを避けているのかな、と。ダイキチの「娘」や、ダイキチの親にとっての「孫」として取り込まれるのではなく、まだ「りん」と「ダイキチ」でいたいというか。なんて深く考えすぎか。実はその後普通に、「おばあちゃん」なんて言ってますし。
けどこのブレはなんなんだよ!と、ちょっとスッキリとは飲み込めない私だったのでした。だって家族になってもらいたいじゃないですか!りんには!
~高校生編だからこそ描ける、この信頼感~
まぁでも、そんな違和感も、この一言で吹っ飛びました。

わたしはお母さんと会っても、ダイキチんちの子でいい?
ああもうね、なんて可愛らしさ。この質問、りんは絶対答えをわかって聞いていますよね。こう聞いて、ダイキチに「あったり前だ」って言ってもらいたくて。安心したいがために。ダイキチは嘘は絶対に言えない性格だということもわかっていますから、放たれた言葉が本心からであることもまた明らか。だからこそ余計に、りんはその言葉に安心して眠ることができるのだな、と。この信頼に満ち満ちた関係は、幼稚園・小学生編では決して描けなかった情景です。高校生編になってしまって、なんだか…とか言ってるあなた、こんな二人を見てもまだそんなことが言えるってんですか!?
えーと…私も子供には常に正直に接してあげたい。そんな感じです。
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6巻レビュー→恋愛のスタンスに見る、ダイキチとコウキの強い繋がり的なもの 《続刊レビュー》宇仁田ゆみ「うさぎドロップ」6巻

「わたしはお母さんと会っても
ダイキチんちの子でいい?」
「あったり前だ
いつまでもうちの子だよ」
■ダイキチのぎっくり腰をきっかけに、今後のことや、自分の生い立ちが気になりだしたりん。このままずっと、この生活が続くのか…。もしダイキチが結婚したとしても、私はこの家に居ていいのか…。みんな“かわいい子”だけど、私のお母さんから見た私は…?なんだか急に、自分の母親のことが気になりだしたりんは、ダイキチに秘密で戸籍を取り寄せようとしたけれど…!?
~今回のメインは母親との再会~
あっという間に7巻です。7巻では、久々にりんの母親である正子さんが登場。りんがその生い立ちと、ダイキチとのこれからについて深く考えるようになる巻という感じでしょうか。こういったことは中学のころにすでに消化していて、過去を振り返る形で展開されるのかと思っていたのですが、高校生になってからですか。ちょいと遅いような気もしますが、全てのことを自分で受けとめて考えられる歳になってから、という考えもあったのかもしれません。しっかり者のりんですから、苦悩しつつも一つ一つしっかり消化していこうとするあたり、本当に大人ですよねー。けど7巻のりんはちょっと読めない感じが強く、今までになく距離を感じてしまったというか、親しみにくかったり。難しいお年頃ってことなのでしょうか。
~りんのとる、ダイキチの両親に対する距離に感じる違和感~
引き取られて以来、ダイキチと共にりんの面倒を見てきたダイキチの両親。始めは怖がっていたもののすぐに打ち解け、描かれていなかった小学校から高校生になる間も、きっとより親交を深め、家族のようになっていったと思っていたのですが…ここでりんの発言が気になったり。

ダイキチのお父さんとお母さん
ここ、コウキだったら普通に「おじいちゃんとおばあちゃん」で通じるんじゃないのかな、と。いや、説明的に言ってるのかもしれないですけれど、ダイキチの実家に対する妙な距離を感じるというか。そりゃ血縁的には兄妹ではありますが、なんとなく不思議に感じたのでした。また他では、

ダイキチの実家
これも別に「おじいちゃんち」とか「おばあちゃんち」って言えば通じるように思うんですよね。しかもぎっくり腰になったばっかりで、結構余裕のないとき。咄嗟…ではないかもしれませんが、なぜこんなにも遠回りな言い方をしたのか。このとき感じたのが、ダイキチやその両親との関係性が、完全に固まることを避けているのかな、と。ダイキチの「娘」や、ダイキチの親にとっての「孫」として取り込まれるのではなく、まだ「りん」と「ダイキチ」でいたいというか。なんて深く考えすぎか。実はその後普通に、「おばあちゃん」なんて言ってますし。
けどこのブレはなんなんだよ!と、ちょっとスッキリとは飲み込めない私だったのでした。だって家族になってもらいたいじゃないですか!りんには!
~高校生編だからこそ描ける、この信頼感~
まぁでも、そんな違和感も、この一言で吹っ飛びました。

わたしはお母さんと会っても、ダイキチんちの子でいい?
ああもうね、なんて可愛らしさ。この質問、りんは絶対答えをわかって聞いていますよね。こう聞いて、ダイキチに「あったり前だ」って言ってもらいたくて。安心したいがために。ダイキチは嘘は絶対に言えない性格だということもわかっていますから、放たれた言葉が本心からであることもまた明らか。だからこそ余計に、りんはその言葉に安心して眠ることができるのだな、と。この信頼に満ち満ちた関係は、幼稚園・小学生編では決して描けなかった情景です。高校生編になってしまって、なんだか…とか言ってるあなた、こんな二人を見てもまだそんなことが言えるってんですか!?
えーと…私も子供には常に正直に接してあげたい。そんな感じです。
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