作品紹介→*新作レビュー*紺野キタ「つづきはまた明日」
関連作品レビュー→紺野キタ「SALVA ME」/紺野キタ「日曜日に生まれた子供」
紺野キタ「つづきはまた明日」(2)
おかしいね
やさしい言葉に
涙がでるなんて
■2巻発売です。
杳と清の兄妹は、優しい父、お茶目な叔母らに見守られ、すくすくと成長していく。今は亡き母を想い、寂しさを覚える日もあれば、友達との触れ合いに心躍る日も。そんな二人を見守りながら、大人たちもまた、子供たちから新鮮な喜びを与えられる。喜び・哀しみは、大人も子供もみんな一緒。今日もまた、やさしい日常が流れていくのでした…
相変わらず優しい…。何気ない日常を、こんなにも優しく描けるものなのか。本当に紺野キタ先生は素敵です。さて、今回は改めてこの作品の魅力を語ろうかな、と。
~子供・大人、世代を越えた感情のクロスが様々な情景を生み出す~
この作品の軸となるのは杳と清の兄妹で、そこから日常風景を広げ、登場人物たちの感情の機微を描き出していきます。兄の杳は、母の死から様々なことを経験し、その年にしてはかなりのしっかり者。そこから見せる感情は、喜びや楽しみだけではなく、母を思う哀しみや、妹や友達を思いやる優しさにまで広がっています。それに対し妹の清は、子供らしくその感情はどこまでもイノセンス。自分の思ったことを正直に口に出し、周りの大人を困らせることもあれば、口に出した言葉が不意に大人の心を掴み、思わぬ感動を与えることもあります。「おもちゃが動き出すところを見たい!」とか、「かわいそうだからお肉は食べない!」とか、発想と言動がいちいちかわいくて、とても優しい気持ちにさせてくれるんですよね。清のような子供の視点が入ってくるから、日常を描いても一方向からの固定的な見方にならず、常に新鮮。そして成長とともに、その日常風景にも確かな変化が生まれます。

子供の何気ない一言が、心に強く響き救いに変わる。元気づけようとしてくれたのか、その意図はわからないが、わからないからこそより響いたりすることもあるわけで。嘘を覚えていない子供の発する言葉は、私たちの言葉にはない、澄んだ特別な力があるように感じます。
2巻では、子供と大人のやりとりだけでなく、大人と大人の関係も描かれます。例えばリカコとさほちゃんのお母さんのやりとり、お父さんとさほちゃんのやりとりなど。大人だって、いつも堂々として子供を迎えてやれるわけではありません。子供と同じように、戸惑い、不安を抱え、そしてときに泣き出したい気持ちになることだってあります。子供をモチーフにするからといって、大人を子供たちを導いてやる立派な存在として描いていないところが、この作品の好きなところ。子供と大人の明確な境界なんかなく、生まれたときからグラデーションのように変化していく。藤沢家に集う人々を見ると、「全力で子供な清→大人っぽい子供の杳→いつまでも子供らしさを残すリカコ→彼らを守る大人という存在の父」と、見事にカバーする領域が繋がっていることに気がつきます。世代を縦にクロスする状況が家族関係の中に築かれているから、バリエーションが広がって飽きることがありません。そしてそこに他の家族が関わることによって、横の繋がりもカバー。それらの関係の数は、それこそかけ算でもするように、いくらでも広がっていきます。
~相変わらずリカコがすごく良い~
さて、数多く登場する登場人物の中でも、ひと際生き生きと動き回るキャラクターがいます。それが叔母のリカコ。1巻レビューのときに、彼女の存在がいい味出してる!と書いたのですが、2巻ではさらに伸び伸びと動き回り、物語を盛り上げてくれています。例えば…

チン毛が生えたな~
この発言。あの、結構こういうことに傷つきがちなんですよ、このぐらいの年の子って。デリケートの極みというか。特に生えはじめとか、なぜか結構な罪悪感におそわれた覚えがありますもん、私も。それをガン無視でこの発言。さらに追い討ちをかけるように、さほちゃんにまで話を振るという鬼畜っぷりです。他にも…

ロリコンの変態がーっ!!(ガシッ)
変質者出没の情報が流れている中、杳と一緒に歩く怪しげな人影を発見。それを見たリカコは迷わずダッシュして、その人物に飛びつきます。しかし結局は誤認。怪しい人影は、リカコの後輩で、杳の書道教室の先生だったというオチ。怪しい人物を見つけ、杳を守ろうという発想は良いんですが、自らつかまえに行こうというこの短絡的な発想が素敵じゃないですか。まずは通報のような気がしますが、あえての体当たりからのキャッチング。
日常ものは動きが大人しくなってしまいがちなのですが、こういうせわしないキャラがいるおかげで、ある程度テンションを保ちながら展開。常に物語に風穴を空けて、新しい空気を入れてくれます。彼女がいなかったら、恐らくその役目は妹の清のみが担っていたと思うのですが、それだけだと限界が。やっぱり彼女の存在は貴重ですよ!
~さほちゃんは意外にも普通の女の子だった~
さて、2巻にて1巻とは違った印象を残したのが、お隣さんの女の子さほちゃん。初登場から感じさせた印象は、杳と一緒で大人びていて、同年代とは違った景色を見ている孤高の女の子というイメージ。聡明というか、達観しているというか。以降は杳に理解を示し、優しさに溢れる関係を築いていくのかな…なんて思っていたのですが、意外にも普通の女の子でして。

家族ぐるみの付き合いでも、杳とふたりで会うのはイヤ。周りからからかわれるから。先のイメージだと、「別にいいじゃない。気にする必要なんてない。」みたいな反応をするんじゃなかろうかと思っていただけに、意外。しかし同時に安心感も。しっかり小学生らしさを残しているから、それまでの崇高なイメージはなくなりつつも、急に親近感が湧いてきます。彼女は大人なのではなくて、ちょっと敏感で困っている子を放っとけないだけの、心優しい普通の小学生なんですよね。引っ越してきたばかりで、最初は遠慮もあったのでしょう。だんだんと、ワガママな部分や自分の主張を見せはじめてきた彼女が、3巻以降どのような変化を見せてくるのか、楽しみで仕方ありません。
~Webスピカの宣伝でも~
「つづきはまた明日」も連載されているWebスピカは、豪華な連載陣の割にかなり無名。しかもお値段安くてお買い得なのに。連載陣を挙げますと…いくえみ綾(「いとしのニーナ」)、新井理恵、松山花子、氷栗優、碧也ぴんく、群青(「黒甜ばくや薬笥ノ帖」)、船戸明里など、有名無名問わずクオリティ高め。それが210円だっていうから驚き。Webコミックだと安く済むのでしょうが、もうちょっと盛っても良いんじゃないかって思います。携帯からも読めるので、興味のある方はアクセスしてみてはいかがでしょうか?って何私販促してるの?別に幻冬舎の手先ってわけじゃないんですが…とりあえず幻冬舎の宣伝下手はなんとかした方が良いと思いますです。(→公式ページ)
■購入する→Amazon
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bk1
関連作品レビュー→紺野キタ「SALVA ME」/紺野キタ「日曜日に生まれた子供」

おかしいね
やさしい言葉に
涙がでるなんて
■2巻発売です。
杳と清の兄妹は、優しい父、お茶目な叔母らに見守られ、すくすくと成長していく。今は亡き母を想い、寂しさを覚える日もあれば、友達との触れ合いに心躍る日も。そんな二人を見守りながら、大人たちもまた、子供たちから新鮮な喜びを与えられる。喜び・哀しみは、大人も子供もみんな一緒。今日もまた、やさしい日常が流れていくのでした…
相変わらず優しい…。何気ない日常を、こんなにも優しく描けるものなのか。本当に紺野キタ先生は素敵です。さて、今回は改めてこの作品の魅力を語ろうかな、と。
~子供・大人、世代を越えた感情のクロスが様々な情景を生み出す~
この作品の軸となるのは杳と清の兄妹で、そこから日常風景を広げ、登場人物たちの感情の機微を描き出していきます。兄の杳は、母の死から様々なことを経験し、その年にしてはかなりのしっかり者。そこから見せる感情は、喜びや楽しみだけではなく、母を思う哀しみや、妹や友達を思いやる優しさにまで広がっています。それに対し妹の清は、子供らしくその感情はどこまでもイノセンス。自分の思ったことを正直に口に出し、周りの大人を困らせることもあれば、口に出した言葉が不意に大人の心を掴み、思わぬ感動を与えることもあります。「おもちゃが動き出すところを見たい!」とか、「かわいそうだからお肉は食べない!」とか、発想と言動がいちいちかわいくて、とても優しい気持ちにさせてくれるんですよね。清のような子供の視点が入ってくるから、日常を描いても一方向からの固定的な見方にならず、常に新鮮。そして成長とともに、その日常風景にも確かな変化が生まれます。

子供の何気ない一言が、心に強く響き救いに変わる。元気づけようとしてくれたのか、その意図はわからないが、わからないからこそより響いたりすることもあるわけで。嘘を覚えていない子供の発する言葉は、私たちの言葉にはない、澄んだ特別な力があるように感じます。
2巻では、子供と大人のやりとりだけでなく、大人と大人の関係も描かれます。例えばリカコとさほちゃんのお母さんのやりとり、お父さんとさほちゃんのやりとりなど。大人だって、いつも堂々として子供を迎えてやれるわけではありません。子供と同じように、戸惑い、不安を抱え、そしてときに泣き出したい気持ちになることだってあります。子供をモチーフにするからといって、大人を子供たちを導いてやる立派な存在として描いていないところが、この作品の好きなところ。子供と大人の明確な境界なんかなく、生まれたときからグラデーションのように変化していく。藤沢家に集う人々を見ると、「全力で子供な清→大人っぽい子供の杳→いつまでも子供らしさを残すリカコ→彼らを守る大人という存在の父」と、見事にカバーする領域が繋がっていることに気がつきます。世代を縦にクロスする状況が家族関係の中に築かれているから、バリエーションが広がって飽きることがありません。そしてそこに他の家族が関わることによって、横の繋がりもカバー。それらの関係の数は、それこそかけ算でもするように、いくらでも広がっていきます。
~相変わらずリカコがすごく良い~
さて、数多く登場する登場人物の中でも、ひと際生き生きと動き回るキャラクターがいます。それが叔母のリカコ。1巻レビューのときに、彼女の存在がいい味出してる!と書いたのですが、2巻ではさらに伸び伸びと動き回り、物語を盛り上げてくれています。例えば…

チン毛が生えたな~
この発言。あの、結構こういうことに傷つきがちなんですよ、このぐらいの年の子って。デリケートの極みというか。特に生えはじめとか、なぜか結構な罪悪感におそわれた覚えがありますもん、私も。それをガン無視でこの発言。さらに追い討ちをかけるように、さほちゃんにまで話を振るという鬼畜っぷりです。他にも…

ロリコンの変態がーっ!!(ガシッ)
変質者出没の情報が流れている中、杳と一緒に歩く怪しげな人影を発見。それを見たリカコは迷わずダッシュして、その人物に飛びつきます。しかし結局は誤認。怪しい人影は、リカコの後輩で、杳の書道教室の先生だったというオチ。怪しい人物を見つけ、杳を守ろうという発想は良いんですが、自らつかまえに行こうというこの短絡的な発想が素敵じゃないですか。まずは通報のような気がしますが、あえての体当たりからのキャッチング。
日常ものは動きが大人しくなってしまいがちなのですが、こういうせわしないキャラがいるおかげで、ある程度テンションを保ちながら展開。常に物語に風穴を空けて、新しい空気を入れてくれます。彼女がいなかったら、恐らくその役目は妹の清のみが担っていたと思うのですが、それだけだと限界が。やっぱり彼女の存在は貴重ですよ!
~さほちゃんは意外にも普通の女の子だった~
さて、2巻にて1巻とは違った印象を残したのが、お隣さんの女の子さほちゃん。初登場から感じさせた印象は、杳と一緒で大人びていて、同年代とは違った景色を見ている孤高の女の子というイメージ。聡明というか、達観しているというか。以降は杳に理解を示し、優しさに溢れる関係を築いていくのかな…なんて思っていたのですが、意外にも普通の女の子でして。

家族ぐるみの付き合いでも、杳とふたりで会うのはイヤ。周りからからかわれるから。先のイメージだと、「別にいいじゃない。気にする必要なんてない。」みたいな反応をするんじゃなかろうかと思っていただけに、意外。しかし同時に安心感も。しっかり小学生らしさを残しているから、それまでの崇高なイメージはなくなりつつも、急に親近感が湧いてきます。彼女は大人なのではなくて、ちょっと敏感で困っている子を放っとけないだけの、心優しい普通の小学生なんですよね。引っ越してきたばかりで、最初は遠慮もあったのでしょう。だんだんと、ワガママな部分や自分の主張を見せはじめてきた彼女が、3巻以降どのような変化を見せてくるのか、楽しみで仕方ありません。
~Webスピカの宣伝でも~
「つづきはまた明日」も連載されているWebスピカは、豪華な連載陣の割にかなり無名。しかもお値段安くてお買い得なのに。連載陣を挙げますと…いくえみ綾(「いとしのニーナ」)、新井理恵、松山花子、氷栗優、碧也ぴんく、群青(「黒甜ばくや薬笥ノ帖」)、船戸明里など、有名無名問わずクオリティ高め。それが210円だっていうから驚き。Webコミックだと安く済むのでしょうが、もうちょっと盛っても良いんじゃないかって思います。携帯からも読めるので、興味のある方はアクセスしてみてはいかがでしょうか?って何私販促してるの?別に幻冬舎の手先ってわけじゃないんですが…とりあえず幻冬舎の宣伝下手はなんとかした方が良いと思いますです。(→公式ページ)
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