作品紹介→*新作レビュー*西炯子「娚の一生」
2巻レビュー→この作品はどう考えても「買い」ですよ、お嬢さん《続刊レビュー》西炯子「娚の一生」2巻
関連作品レビュー→西炯子「ひらひらひゅ~ん」
西炯子「娚の一生」(3)
長かったのよ
35年は
■3巻発売、完結しました。
海江田の強く温かな愛に、戸惑いながらも心を開き、彼への想いを強めていったつぐみ。彼の生い立ち、彼の性格を知るごとに、その距離は縮まっていく。だがそんな中、つぐみの元に元カレ・中川から思いがけないメールが届き…!?
~完結したけど…~
3巻発売、完結でございます。作品自体は昨年末に最終回を迎えていて、本誌組の方々から話は伺っていたのですが、どうにも評判が良くない。とくにラストの2話があんまりな内容だった、と。私はあまり他人の話には聞く耳を持たない人間なのですが、ここまで良くない話を聞くと、さすがに心配になってきまして。年末に書いたオススメ作品の記事も、そのことを考慮して順位を当初予定していたものよりも下げてランクインさせてあります。
そんな不安が先行しての3巻購入。果たしてどんなものかと恐る恐る読んでみたのですが、確かにこれは…。今回は、特に後半の怒濤の展開について、少し考えてみたいと思います。
~非日常・非現実の我慢できるライン~
この物語は仕事を在宅に切り替えたつぐみが、祖母の家に住み、そこにかつて祖母に恋していた海江田が転がり込んでくるという、非日常な出来事の上に成り立っている物語です。しかしその他の空気感などはどこまでもリアルで、読者の多くもそういった視点からこの作品を読んでいたように思います。そうなってくると、どうしても非日常的とまでは言わずとも、非現実的な出来事はあまり起こって欲しくないというのが読者の想いとして生まれてきてしまいます(そうじゃないですか?)。その「非日常・非現実」を我慢できるラインを、3巻ではあまりに踏み越えてしまったという印象がありました。2巻でも、子供が登場したときに少し危ない感じはしましたが。
この物語の肝は、ヒロインのつぐみが
■元カレのことを忘れられるか
その上で、
■歳の差をはじめとしたしがらみを越えて海江田を愛することが出来るか
という2点に集約できると思うのですが、非日常・非現実というカードを使うのだとしたら、その2点を回収するときに使って欲しかったんですよね。いや、本当なら使わないくらいでも良いのですが、妙に保守的なつぐみと、肝心なところで一押し足りない海江田の二人だと、どうしても「きっかけ」が必要だったのかな、と。
そして3巻にて使われたカードは以下の通り
■誘拐→殺人未遂→犯人のケータイ番号がつぐみの番号と一字違いで、そこに犯人が離れたタイミングで中川が電話
■大地震
これが2話に収録されています。ハリウッド映画も驚きの怒濤の展開です。これらの奇跡の連続はまぁ置いておくとして、これらが果たした役割とはなんだったのか、見ていきたいと思います。まずは誘拐から中川再来のくだりですが、ピンチを救う役割を負わせることによって、元カレのヒーロー性・王子様性をMAXにするも、「それでもやっぱり海江田がいい」とつぐみに思わせる、「元カレからの解放」という役割があったのではないかと思います。また大地震は、海江田への想いをより確固たる物にする効果と、発電所の活躍によるムラ単位での彼女の居場所の獲得という側面があったように考えられます。どちらもこの物語のポイントと思われる部分は回収しているので、これでも物語はしっかりと完結しているのですが、どうにも力技すぎる印象を受けてしまいます。例えるならば、「煙草に火をつけるのに、ライターではなく火炎放射器を使ってしまった」という感じ。特に誘拐から殺人未遂、そして電話番号の奇跡というあの流れは、中川の王子様性を改めて描き出すためだけにあったのではという印象が強く、やはり(海江田への想いを決定的にさせたとはいえ、確固たるものになったのは、喧嘩によって海江田がいなくなり、さらに大地震が発生してからですし)。
コミックナタリーにて西炯子先生のインタビューが載っているのですが、当初は淡々と終わる予定だったみたいですね。それに編集長が待ったをかけて、それであの展開を先生が提案したみたいです。台無し感を追求とか…ホントに台無しだよ!(暴言すぎる)
■購入する→Amazon
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bk1
2巻レビュー→この作品はどう考えても「買い」ですよ、お嬢さん《続刊レビュー》西炯子「娚の一生」2巻
関連作品レビュー→西炯子「ひらひらひゅ~ん」

長かったのよ
35年は
■3巻発売、完結しました。
海江田の強く温かな愛に、戸惑いながらも心を開き、彼への想いを強めていったつぐみ。彼の生い立ち、彼の性格を知るごとに、その距離は縮まっていく。だがそんな中、つぐみの元に元カレ・中川から思いがけないメールが届き…!?
~完結したけど…~
3巻発売、完結でございます。作品自体は昨年末に最終回を迎えていて、本誌組の方々から話は伺っていたのですが、どうにも評判が良くない。とくにラストの2話があんまりな内容だった、と。私はあまり他人の話には聞く耳を持たない人間なのですが、ここまで良くない話を聞くと、さすがに心配になってきまして。年末に書いたオススメ作品の記事も、そのことを考慮して順位を当初予定していたものよりも下げてランクインさせてあります。
そんな不安が先行しての3巻購入。果たしてどんなものかと恐る恐る読んでみたのですが、確かにこれは…。今回は、特に後半の怒濤の展開について、少し考えてみたいと思います。
~非日常・非現実の我慢できるライン~
この物語は仕事を在宅に切り替えたつぐみが、祖母の家に住み、そこにかつて祖母に恋していた海江田が転がり込んでくるという、非日常な出来事の上に成り立っている物語です。しかしその他の空気感などはどこまでもリアルで、読者の多くもそういった視点からこの作品を読んでいたように思います。そうなってくると、どうしても非日常的とまでは言わずとも、非現実的な出来事はあまり起こって欲しくないというのが読者の想いとして生まれてきてしまいます(そうじゃないですか?)。その「非日常・非現実」を我慢できるラインを、3巻ではあまりに踏み越えてしまったという印象がありました。2巻でも、子供が登場したときに少し危ない感じはしましたが。
この物語の肝は、ヒロインのつぐみが
■元カレのことを忘れられるか
その上で、
■歳の差をはじめとしたしがらみを越えて海江田を愛することが出来るか
という2点に集約できると思うのですが、非日常・非現実というカードを使うのだとしたら、その2点を回収するときに使って欲しかったんですよね。いや、本当なら使わないくらいでも良いのですが、妙に保守的なつぐみと、肝心なところで一押し足りない海江田の二人だと、どうしても「きっかけ」が必要だったのかな、と。
そして3巻にて使われたカードは以下の通り
■誘拐→殺人未遂→犯人のケータイ番号がつぐみの番号と一字違いで、そこに犯人が離れたタイミングで中川が電話
■大地震
これが2話に収録されています。ハリウッド映画も驚きの怒濤の展開です。これらの奇跡の連続はまぁ置いておくとして、これらが果たした役割とはなんだったのか、見ていきたいと思います。まずは誘拐から中川再来のくだりですが、ピンチを救う役割を負わせることによって、元カレのヒーロー性・王子様性をMAXにするも、「それでもやっぱり海江田がいい」とつぐみに思わせる、「元カレからの解放」という役割があったのではないかと思います。また大地震は、海江田への想いをより確固たる物にする効果と、発電所の活躍によるムラ単位での彼女の居場所の獲得という側面があったように考えられます。どちらもこの物語のポイントと思われる部分は回収しているので、これでも物語はしっかりと完結しているのですが、どうにも力技すぎる印象を受けてしまいます。例えるならば、「煙草に火をつけるのに、ライターではなく火炎放射器を使ってしまった」という感じ。特に誘拐から殺人未遂、そして電話番号の奇跡というあの流れは、中川の王子様性を改めて描き出すためだけにあったのではという印象が強く、やはり(海江田への想いを決定的にさせたとはいえ、確固たるものになったのは、喧嘩によって海江田がいなくなり、さらに大地震が発生してからですし)。
コミックナタリーにて西炯子先生のインタビューが載っているのですが、当初は淡々と終わる予定だったみたいですね。それに編集長が待ったをかけて、それであの展開を先生が提案したみたいです。台無し感を追求とか…ホントに台無しだよ!(暴言すぎる)
■購入する→Amazon