作品紹介→*新作レビュー*羽柴麻央「私日和」
関連作品レビュー→羽柴麻央「イロドリミドリ」/「月と太陽が出逢う日」
羽柴麻央「私日和」(2)
ううん
私は 私を信じてるから
大丈夫
■2巻発売。
13年前に母親に宛てて送られた古い手紙を見つけた町田暁。それをきっかけに、暁は差出人である叔母のもとで、今年の夏休みを過ごすことを決める。どこか不安そうに送り出す母と、無表情に迎え入れる叔母。法事などで顔をあわす程度で、今までもほとんど話をしたことがない。結婚をして、今住んでいる家を引っ越して遠くの街に行くため、勝手に「手伝いをする」と口実を作ってきたのだった。そして始まる、夏休みの不思議な二人の生活。そこで明らかになる、暁が叔母との間に距離を感じてきた理由とは…?
~1年に1冊以下のペース~
約1年ぶりの新作でございます。羽柴先生はデビューからすでに17年ほど経っているのですが、刊行された単行本は、17冊より少ないです。つまり年1冊ペース未満というゆっくり具合。とてつもなく遅筆なのか、それとも物語を凝縮するために1回1回に懸けているのか。どちらにせよ、2年連続で単行本を読めるというのは、この上ない幸せ。そして今回もまた、素晴らしい内容の物語が描かれていました。収録されているのは3編で、そのうち1~2編目は強い繋がりのある内容でした。もうね、これがほんとうに素晴らしい。色々書きたいことがあるのでネタバレ全開です。ということで、未読の方は早速今買ってきてください。ちなみに読切り形式なので、2巻から読みはじめても全く問題なしです。
~2話目を読んでやっとわかる~
Case.3「ありあけの月とダンス」は、少年がほとんど親交のない叔母のもとを訪ね、しばらくの間一緒に生活をするというお話。最初から、何か確信を持って少年は叔母の元を訪ねるのですが、物語序盤そのことは明らかにされません。そして最後になって、その全貌が明らかになるのですが、そこに至る前、主人公・暁のハーモニカの音色にのせて、叔母の朱がバレエダンスを踊るというシーンがあります。一見気どったシーンのように見えるこの光景。はじめ読んだ時は、「?」となったのですが、2話目を読みはじめてすぐにそのシーンの裏に隠された想いの欠片を知ることになり、思わず涙ぐんでしまいました。

1話目ラストに差し込まれたシーン。幻想的にも映るこのシーンだが、本当にきいてくるのは2話目を読んでから。
高校生のとき駆け落ちし、その相手の子を身ごもるも、子供が生まれる前に彼が事故死。1話の時にはその情報しか与えられていなかったのですが、2話目では朱の高校時代が描かれ、相手との馴れ初めが描かれていきます。相手は、小さい頃バレエを一緒にやっていた少年。そして、再会した時にふと差し込まれるモノローグに…
ついぞその想いは叶うことはありませんでした。再会した時に、すでに彼は怪我でバレエをやめていたのです。なんて実際は、怪我ではなくプレッシャーなのかもしれませんが(体育で余裕でバスケやってるし)。そしてその代わりに、ハーモニカを吹くようになります。彼とのやり取りの中で、朱は湧ちゃんのハーモニカにのせてダンスを踊るのですが、ここでやっと1巻のあのシーンにかぶさってくるのです。彼自身ではないけれど、彼の子供が彼のハーモニカで曲を吹く。その音色にのせて、踊った朱は何を思い何を感じたのでしょうか。ラストのモノローグ、「希望?絶望?願い、祈り」は朱を想って浮かべられた言葉たちなのかもしれません。朱は、「踊っている間は全てから解放されたような感じになる」と言っており、そして踊る彼女の姿を見た暁は彼女を、「まるで少女のよう」と表現しています。全てから解き放たれ、心の中心部分が露になったとき、残ったのは少女の部分。落ち着き払い大人のように見える彼女の心の奥底には、いつまでも子供のままでとまった部分というのがあったのかもしれませんね。
~直接は描かれない、その後~
朱と湧が駆け落ちし、暁が生まれたわけですが、二人が電車で旅立つところまでしか、物語は描かれていません。しかし二人のその先を想い描かせるヒントが、1話目2話目に転がっています。例えば1話目では、暁が13歳で朱が31歳なのですが、これで朱が18歳のときに暁が生まれたことがわかります。二人が駆け落ちしたと思われるのは、高校1年の冬。したがって、二人はおよそ2~3年もの間、駆け落ち先で一緒に過ごしていた計算になります。ああ、精神的にではなく、状況としてもちゃんと逃げ出せたと、ここで改めて確認することが出来るのです。
他にも、1話目で暁が訪ねる家は、2話目に出てくる朱の実家と同じです。つまり朱は湧と死に別れたあと、実家に戻ってきていたのでした。また1話目冒頭で語られますが、祖父少なくとも3年以上前に他界。以来彼女は、そこをずっと一人で守ってきていたのです。ずっと「自分の居場所が無い」「逃げ出したい」と考えていた場所に戻り、しかも主が亡くなった後も、代わりに守りつづけるというその状況は、どうにも奇妙に映ります。贖罪なのか、それとももっと現実的な問題なのか、そもそも戻った時点で問題は消えていたのか…。そういえば、2話目には鳥がモチーフとして登場するするのですが、引越のための掃除で「たつ鳥あとを濁さず」…いやさすがにないか。むしろ朱と被さっているのは、「病気を隠している」という部分。しかし彼女はルルと違い、しっかりと鳥かごを飛び出していったし、病気のことは暁に知られていましたね。不幸ばかりが際立っているように見えた朱ですが、最後はなんだかんだで幸せだったのかもしれません。

子供が愛する人のハーモニカに興味を持つ。嬉しい事ではありませんか。何気ないやり取りにも、大きな感情の動きが隠されているのです。
~それでも描かれなかった部分~
それでも描かれなかった部分というのが、二つほどあります。まずは湧の死について。ただ単に事故死とあるだけで、詳細な情報は一切ありません。なんとなく「続きも描くのかな」と思っていたので、描かれなかったのは意外。しかし絶望を提示するよりも、最後に希望を提示して締められるあの場面での区切りのほうが良かったのかと、考えてみて納得。その置かれる状況説明のみで、朱の不幸は際立つのだから、そこでさらに詳細な描写をしていっそう暗くする必要もなかろうということなんでしょうかね。
また、朱の結婚相手についても全く触れられていません。不自然なほどに情報がなく、物語には一切絡んでこないのです。本当に必要だったのかな、などと思いつつも、その情報があるからこそ、少しだけ救われた気分になることも事実。
とにかく緻密に練り込まれた物語で、読み返して益々面白いという素敵なストーリーでした。ちょっと悲しいけれど、このしんみり具合がまた疲れた心に沁みるんですよね。そして最後は茶目っ気たっぷりの、ライトなお話。これはこれでまた羽柴先生の良いいところ。とにかくおすすめの一作です。
■購入する→Amazon
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bk1
関連作品レビュー→羽柴麻央「イロドリミドリ」/「月と太陽が出逢う日」

ううん
私は 私を信じてるから
大丈夫
■2巻発売。
13年前に母親に宛てて送られた古い手紙を見つけた町田暁。それをきっかけに、暁は差出人である叔母のもとで、今年の夏休みを過ごすことを決める。どこか不安そうに送り出す母と、無表情に迎え入れる叔母。法事などで顔をあわす程度で、今までもほとんど話をしたことがない。結婚をして、今住んでいる家を引っ越して遠くの街に行くため、勝手に「手伝いをする」と口実を作ってきたのだった。そして始まる、夏休みの不思議な二人の生活。そこで明らかになる、暁が叔母との間に距離を感じてきた理由とは…?
~1年に1冊以下のペース~
約1年ぶりの新作でございます。羽柴先生はデビューからすでに17年ほど経っているのですが、刊行された単行本は、17冊より少ないです。つまり年1冊ペース未満というゆっくり具合。とてつもなく遅筆なのか、それとも物語を凝縮するために1回1回に懸けているのか。どちらにせよ、2年連続で単行本を読めるというのは、この上ない幸せ。そして今回もまた、素晴らしい内容の物語が描かれていました。収録されているのは3編で、そのうち1~2編目は強い繋がりのある内容でした。もうね、これがほんとうに素晴らしい。色々書きたいことがあるのでネタバレ全開です。ということで、未読の方は早速今買ってきてください。ちなみに読切り形式なので、2巻から読みはじめても全く問題なしです。
~2話目を読んでやっとわかる~
Case.3「ありあけの月とダンス」は、少年がほとんど親交のない叔母のもとを訪ね、しばらくの間一緒に生活をするというお話。最初から、何か確信を持って少年は叔母の元を訪ねるのですが、物語序盤そのことは明らかにされません。そして最後になって、その全貌が明らかになるのですが、そこに至る前、主人公・暁のハーモニカの音色にのせて、叔母の朱がバレエダンスを踊るというシーンがあります。一見気どったシーンのように見えるこの光景。はじめ読んだ時は、「?」となったのですが、2話目を読みはじめてすぐにそのシーンの裏に隠された想いの欠片を知ることになり、思わず涙ぐんでしまいました。

1話目ラストに差し込まれたシーン。幻想的にも映るこのシーンだが、本当にきいてくるのは2話目を読んでから。
高校生のとき駆け落ちし、その相手の子を身ごもるも、子供が生まれる前に彼が事故死。1話の時にはその情報しか与えられていなかったのですが、2話目では朱の高校時代が描かれ、相手との馴れ初めが描かれていきます。相手は、小さい頃バレエを一緒にやっていた少年。そして、再会した時にふと差し込まれるモノローグに…
あの頃の私の夢は
いつか
バレリーナになって
湧ちゃんと再会し
一緒に踊ることだった
いつか
バレリーナになって
湧ちゃんと再会し
一緒に踊ることだった
ついぞその想いは叶うことはありませんでした。再会した時に、すでに彼は怪我でバレエをやめていたのです。なんて実際は、怪我ではなくプレッシャーなのかもしれませんが(体育で余裕でバスケやってるし)。そしてその代わりに、ハーモニカを吹くようになります。彼とのやり取りの中で、朱は湧ちゃんのハーモニカにのせてダンスを踊るのですが、ここでやっと1巻のあのシーンにかぶさってくるのです。彼自身ではないけれど、彼の子供が彼のハーモニカで曲を吹く。その音色にのせて、踊った朱は何を思い何を感じたのでしょうか。ラストのモノローグ、「希望?絶望?願い、祈り」は朱を想って浮かべられた言葉たちなのかもしれません。朱は、「踊っている間は全てから解放されたような感じになる」と言っており、そして踊る彼女の姿を見た暁は彼女を、「まるで少女のよう」と表現しています。全てから解き放たれ、心の中心部分が露になったとき、残ったのは少女の部分。落ち着き払い大人のように見える彼女の心の奥底には、いつまでも子供のままでとまった部分というのがあったのかもしれませんね。
~直接は描かれない、その後~
朱と湧が駆け落ちし、暁が生まれたわけですが、二人が電車で旅立つところまでしか、物語は描かれていません。しかし二人のその先を想い描かせるヒントが、1話目2話目に転がっています。例えば1話目では、暁が13歳で朱が31歳なのですが、これで朱が18歳のときに暁が生まれたことがわかります。二人が駆け落ちしたと思われるのは、高校1年の冬。したがって、二人はおよそ2~3年もの間、駆け落ち先で一緒に過ごしていた計算になります。ああ、精神的にではなく、状況としてもちゃんと逃げ出せたと、ここで改めて確認することが出来るのです。
他にも、1話目で暁が訪ねる家は、2話目に出てくる朱の実家と同じです。つまり朱は湧と死に別れたあと、実家に戻ってきていたのでした。また1話目冒頭で語られますが、祖父少なくとも3年以上前に他界。以来彼女は、そこをずっと一人で守ってきていたのです。ずっと「自分の居場所が無い」「逃げ出したい」と考えていた場所に戻り、しかも主が亡くなった後も、代わりに守りつづけるというその状況は、どうにも奇妙に映ります。贖罪なのか、それとももっと現実的な問題なのか、そもそも戻った時点で問題は消えていたのか…。そういえば、2話目には鳥がモチーフとして登場するするのですが、引越のための掃除で「たつ鳥あとを濁さず」…いやさすがにないか。むしろ朱と被さっているのは、「病気を隠している」という部分。しかし彼女はルルと違い、しっかりと鳥かごを飛び出していったし、病気のことは暁に知られていましたね。不幸ばかりが際立っているように見えた朱ですが、最後はなんだかんだで幸せだったのかもしれません。

子供が愛する人のハーモニカに興味を持つ。嬉しい事ではありませんか。何気ないやり取りにも、大きな感情の動きが隠されているのです。
~それでも描かれなかった部分~
それでも描かれなかった部分というのが、二つほどあります。まずは湧の死について。ただ単に事故死とあるだけで、詳細な情報は一切ありません。なんとなく「続きも描くのかな」と思っていたので、描かれなかったのは意外。しかし絶望を提示するよりも、最後に希望を提示して締められるあの場面での区切りのほうが良かったのかと、考えてみて納得。その置かれる状況説明のみで、朱の不幸は際立つのだから、そこでさらに詳細な描写をしていっそう暗くする必要もなかろうということなんでしょうかね。
また、朱の結婚相手についても全く触れられていません。不自然なほどに情報がなく、物語には一切絡んでこないのです。本当に必要だったのかな、などと思いつつも、その情報があるからこそ、少しだけ救われた気分になることも事実。
とにかく緻密に練り込まれた物語で、読み返して益々面白いという素敵なストーリーでした。ちょっと悲しいけれど、このしんみり具合がまた疲れた心に沁みるんですよね。そして最後は茶目っ気たっぷりの、ライトなお話。これはこれでまた羽柴先生の良いいところ。とにかくおすすめの一作です。
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